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伏見 料理飲食業組合について

伏見の風景

伏見 料理飲食業組合について

伏見は京の都と大坂を水路で結ぶ中継地点として古くから栄え、角倉了以の高瀬川改作により、さらに発展を遂げ豊臣秀吉から徳川家康の時代にもっともにぎわいを見せました。
この時代に家康は銀貨鋳造の為、伏見の地に「銀座」を置きその始まりは東京の銀座よりも古く、伏見が当時日本の商業集積地であった事が伺えます。
明治維新の「鳥羽伏見の戦い」で伏見の町もその大半が消失しましたが、都が京から江戸へと移ってからも豊かな伏水に恵まれたこの地で酒造りが発展し、明治大正から昭和にかけて趣のある酒蔵が軒を連ね「伏見の清酒」は全国に名を馳せました。
現在もこの豊かな水をたたえる水郷に、十石船や三〇石船も復活し、かつての繁栄を感じられ、観光都市伏見としての役割を果たしています。
その文化的にも様々ないわれのある伏見において独自の個性を持ち、自ずから食文化も栄えました。伏見ゆかりの京野菜や、琵琶湖から運ばれる川魚、大坂から運ばれる鮮魚を使って素晴らしい「食」文化が生まれ、育まれてきました。伏見料理飲食業組合はこの歴史的な町にあって、より豊かな食材を生かした飲食店の集まりです。

沿 革

昭和3年3月 京都府紀伊郡伏見町に「紀伊郡料理飲食業組合」として設立
昭和4年5月 伏見町が伏見市となり組合名も「伏見料理飲食業組合」に変更
こののち、昭和6年3月に伏見市が京都市に編入され現在に至る